絵画メモ

 
 

魔女キルケ・魔女メリッサ

 
 
ドッソ・ドッシ - Wikipedia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ドッシは ミランドラのTramuschioに生まれたものと思われる。若い頃のことやどこで修行したかについての十分な記録はないのだが、父親は フェラーラ 公の会計係 ( spenditore or fattore)で、絵を学んだのは、地元の ロレンツォ・コスタの下でか、あるいは マントヴァ( 1512年にそこにいたことはわかっている)であったろうと思われる。 1514年にはフェラーラ公の宮廷にいて、以後30年間、 アルフォンソ1世・デステと エルコレ2世・デステに仕え、後には宮廷の主席画家にまでなった。 ローマの ラファエロの工房で修行した弟の バッティスタとは、よく一緒に仕事をした。ドッシは頻繁にフェラーラ公のために家具や劇場のセットの装飾を手掛けたが、その装飾はその場限りのものだった。 ガロファロと一緒に仕事をしたことも知られている。弟子には、Giovanni Francesco Surchi( en:Giovanni Francesco Surchi, il Dielai)、Gabrieale Capellini、Jacopo Panicciatiといった人物がいる。 ドッシは自然主義で、デザインに細心の注意を払っていたが、普通ドッシといえば、神話的テーマを扱った絵の中に隠された寓意的な奇想で知られている(博愛主義的なフェラーラ宮廷でそれが好まれたことは コズメ・トゥーラの項目の、スキファノイア宮殿の記事を参照)。フリードバーグはドッシの戯画っぽさ、原始主義、比率のエキセントリックな歪みを表現するのに、 スプレッツァトゥーラ( en:sprezzatura。難しいことを簡単に見せること)という言葉を使った。またドッシは、棚飾りに普通は使わない明るい着色を使ったことでも有名である。また『キリスト降架』のようないくつかの作品は、 コレッジョ の絵を連想させるゆらめくような質感を持っている。 エステ城の中にあるアルフォンソ1世・デステの「Camerino d'Alabstro」は、 ジョヴァンニ・ベリーニの『 神々の祝祭』や ティツィアーノの『ヴィーナス崇拝』を含む乱痴気で官能的な絵が飾られていたところだが、ドッシのフリーズ画『エリュシオンの野のアエネアス』はその部屋の一部である。 ウェルギリウス作『 アエネイス』の第6巻635-709行、 アエネアスがクマエの巫女の導きで エリュシオンへの道を進む場面を描いたもので、森の中、さまざまなポーズを取る裸の人々、端には竪琴を持った オルフェウス がいて、一番奥には幽霊のような白い馬がいる。 『ヘラクレスとピグミーたち』では、 アンタイオスを負かした直後、眠っていた ヘラクレス が親指大のピグミーたちに襲われる場面を描いている。ヘラクレスが持っているライオンの毛皮は、そのすぐ後でヘラクレスがピグミーたちを包み込むのに使われる。逞しいヘラクレスの描写は当時のフェラーラ公エルコレ2世・デステの権威を表している。 Francis P.
 
 
 
 
めもめも