干支暦について

干支暦については、国立国会図書館のページが秀逸なのでご紹介します。
 
 

暦の歴史

干支歴とは

国立国会図書館謹製、干支歴とはのページ

干支歴の計算サイト

計算機のカシオが提供する干支暦計算サイト

中国の暦あれこれ

中国暦 - Wikipedia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 中国暦(ちゅうごくれき)では、 中国の伝統的な 暦法を総合して説明する。中国では伝統的な暦法のことを 夏暦(かれき)・ 農暦(のうれき、农历、農曆)・ 陰暦(いんれき)・(きゅうれき、旧历、舊曆)などと呼んでいる。また、 ベトナムなどのように 黄暦(こうれき)と呼称する国・地域もある。さらに 日本では、中国から輸入した暦のことを 漢暦(かんれき)と呼んでいた(日本の暦については「 太陰太陽暦#日本の太陰太陽暦 」も参照)。 夏暦とはもともと 古六暦の一つであるが、 辛亥革命以後に 太陽暦( グレゴリオ暦)が採用されるようになると、それまでの伝統的な 太陰太陽暦を総称する言葉となった。これは、中国の太陰太陽暦が 建寅の月を年始とする 夏正であったためである。また、一般的に農暦と呼ばれるようになったのは、 農村で今でも広く使われているからである。中国国内で 2006年に無形文化遺産に登録され、 2016年、 ユネスコが推進する 無形文化遺産 に登録された。 中国の暦法はいわゆる太陰太陽暦であり、1月の長さを 月の 月齢約29.53日を基準に1年における月の配列を 太陽の運行を基準に定める。 新月を 朔、 満月を 望といい 朔日を月の初めの日として配当していった。朔日の計算方法には、 平朔法と 定朔法がある。季節は1 太陽年を24分した 二十四節気を基準に決められる。二十四節気の計算方法には 平気法と 定気法がある。12 朔望月と1太陽年のずれは 閏月を設けることで調整され、閏月は年の途中に置かれ二十四節気の中気を含まない月とされた。年始は 前漢の 太初暦以来 冬至の翌々月、つまり 立春前後に設けられ1月には必ず 雨水が含まれた。これにより1年の始めと
 
二十四節気
二十四節気 - Wikipedia
二十四節気(にじゅうしせっき)とは、1 太陽年を日数( 平気法)あるいは 太陽の 黄道上の視位置( 定気法)によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したもの。 二十四気 (にじゅうしき)ともいう。 二十四節気は 中国の 戦国時代の頃、 太陰暦の 季節からのずれとは無関係に、季節を春夏秋冬の4等区分する暦のようなものとして考案された区分手法のひとつで、一年を12の「 節気」(正節とも)と12の「 中気 」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられている。 本来の二十四節気は中国の 中原を中心とした地域の気候をもとに名付けられており、日本で体感する気候とは季節感が合わない名称や時期がある。違いを大きくするものとして、日本では 梅雨や 台風 がある。 例えば 夏至はまだ 梅雨の真っ只中にあり、 蝉はまだ鳴き始めていない。 小暑では蒸し暑さは増すものの 七夕を眺めるような晴れの空は期待できず、 暑中ではあるのに地域によって 梅雨寒となることもある。 大暑は「最も暑い時候」と説明されるが、盛夏のピークは 立秋 の前後となる。 日本ではこのような事情を補足するため、二十四節気のほかに、 土用、 八十八夜、 入梅、 半夏生、 二百十日などの「 雑節」と呼ばれる季節の区分けを取り入れた。なお、二十四節気や雑節は、 旧暦 に追記されて発行されていた。 旧暦の日付は、年ごとに月がおよそ1 朔日間(およそ29.5日)の範囲で誤差が生じるため、二十四節気の日付は毎年異なる。それでも 四立や 八節に加えて一年の中の 季節を分ける目安としては十分であった。さらに各気各候に応じた自然の特徴が記述されるものとして、二十四節気をさらに約5日ずつに分けた 七十二候という区分けもあり、二十四節気と併せて 暦注などに記された(この七十二候も日本の風土に合わず、 江戸時代に 渋川春海によって「本朝七十二候」に改訂されている)。これらは現在でも 農事暦や 旬を楽しむ 生活暦 として使われ、新暦における日付とは異なるわずかな季節の変化、すなわち微妙な季節感を感じ取ることが出来る。 日本は 明治6年1月1日(1873年1月1日)以降、 太陽暦をもとにした グレゴリオ暦(いわゆる 新暦)を採用したため、二十四節気の日付は毎年ほぼ一定となった一方、新暦は旧暦に対し、 年初の定義の違いから来る日付のずれが発生することから、いわゆる「 月遅れ」が生じることとなった。 この結果、例えば旧暦では「秋」であった「文月(7月)」が新暦では「夏」になったり、 7月9日頃から 8月11日頃までであった 二百十日が新暦9月1日になったり、 盆の節会を行う時期が地域によって新暦7月と新暦8月に別れたりするなど、月遅れによるそれまでの慣習との相違が発生しているほか、前記のような元々の中国風の定義も絡み、現在でも若干の違和感が存在することから、日本のメディアでは 「暦の上では――」 と前置きして説明されることがある。太陽の移動(地球から見て)と一致しているのは 春分・ 夏至・ 秋分・ 冬至 のみ。 このような事情から 2011年、 日本気象協会は現代日本の気候に合わせた新しい二十四節気を創造する事を目標とした準備委員会を設けた。一般からも意見を募り、 2012年の秋頃には「 21世紀 の二十四節気」を発表し、周知させていきたいという意向を示していたが、「これまで培われた微妙な季節感を混乱させる」として反対の声が多く寄せられ2012年9月に計画は中止となり、現在でも二十四節気はそのまま使われている。 月の運行のみに基づく 太陰暦では、月と日付が 太陽 の位置とは無関係に定まり、暦と四季の周期との間にずれが生じるので、農林水産等々の季節に左右される事象を扱うのに不便である。 閏月の挿入による調整を行う太陰太陽暦でも、閏月の前後で1か月の半分の15日程度のずれがある。そこで古代中国では、太陰暦とは無関係に季節を知る目安として、太陽の運行を元にした二十四節気が暦に徐々に導入された(後述)。なお現代中国では、旧暦の太陰暦のことを「農暦」と呼ぶことがあるが、前述のように太陰暦は季節からずれることから、農業のための暦ではない。 二十四節気はある時期に突然発明されたのではなく、段階的に整備されてきたものである。二至二分は ノーモン( 日時計の一種)によって観察しやすいので、古くから認識されていたと考えられ、 殷 周時代には日の最も短い冬至頃に年始が置かれていた。 甲骨文字において月名は1、2、3といった ...

西洋の暦あれこれ

 
 
ローマ暦 - Wikipedia
ローマ暦(ローマれき)は、 古代ローマで使用されていた 暦法。狭義には、 古代ギリシア暦を元にしてつくられた暦法を言う。 ローマ建国紀元とは異なる。広義には、改暦された ユリウス暦もローマ暦に含める。さらに広義には、ユリウス暦を改暦して使用された グレゴリオ暦 も含む。本項では、ユリウス暦より以前のローマ暦について述べる。 紀元前753年(紀元前745年説あり)、最初のローマ暦が古代ローマで採用された。この暦法は、ローマを建国したとされる王 ロームルスの名をとり、 ロムルス暦と呼ばれる。この暦には29ないし31日からなる月が10個置かれ、現在の3月にあたる月から始まり12月で終わっていた。各月の名称と日数は下表のとおり。年始にあたる Martius が1番目の月であり、4番目の Junius までは神の名前をつけている。5番目から10番目にあたる Quīntīlisから Decemberまでの月名は、 ラテン語の 数詞5-10( quīnque, sex, septem, octō, novem, decem)に由来し、第5月から第10月を意味する。月の順序と月名との間にずれが生じたのは、後述の 紀元前153年 の改暦による。1年の長さは304日で、12月30日と3月1日の間に、日付のない日が約61日間続いた。農耕暦だったので、畑仕事のない季節に日付は必要なかったとされる。当時のローマ人は1年の長さが約365日であることを知らなかったため、日付のない日は厳密に61日間ではなく、春めいてきた日に王が新年を宣言するという形をとったと考えられる。 紀元前713年、ローマ国王 ヌマ・ポンピリウスによって改暦が行われ、現在の1月にあたる Jānuārius、2月にあたる Februāriusがつけ加えられた。このときヌマは、日数が30日だった月の日数をすべて29日に変えた。平年の1年の長さは355日になる。2年に1度、2月の日数を23日に減じ、2月23日の翌日に Mercedinus(メルケディヌス)という名の27日間または28日間の閏月を挿入した。この時期はまだ年始は3月1日であった。この暦法は、布告した王の名をとり ヌマ暦 と呼ばれる。ほとんどの月の日数を29日と31日にしたのと、1年の長さを月の運行に合わせた354日にしなかったのは、ヌマの信仰が偶数を嫌ったからだとされている。 ロムルス暦とヌマ暦で決められた月名は、後に改名された Quīntīlisと Sextīlis、および後のユリウス暦では必要のなくなった Mercedinusを除き、語形変化を被りつつも、ほぼそのまま 英語 等の現代語にまで受け継がれている。 この後も数度、改暦が行われた。最も大きな改暦は 紀元前153年 1月1日に行われた。 この年から[要出典 ]、 年の始まりが3月1日( Martiusの Kalendae)ではなく、1月1日( Jānuāriusの Kalendae)
 
 
 

現代の暦

国立天文台暦編纂室 NASA JPL DE430の使用
暦の改訂について(2016)
天文現象を予測するには,太陽・月・惑星などの運動について知らなければならない.時々刻々と変わる天体の位置や速度について,これまで本書ではいわゆる DE (Development Ephemeris) を採用してきた.DEは米国ジェット推進研究所 (Jet Propulsion Laboratory, JPL) が惑星探査用に編纂した月・惑星の暦であり,国際的にもっとも広く用いられているものである.具体的には昭和60年版 (1985) からはDE200, 平成15年版 (2003) からはDE405を導入 してきた. DEは数値積分によって運動方程式を解くことで暦を推算しており,それに必要な初期位置・速度や運動方程式のパラメータである質量・天文定数などは観測値にもっともあうように推定されている.このため,国際天文学連合 (IAU) の勧告する天文定数系とは必ずしも一致しないが,DEの定数が後にIAUの天文定数系で採用されるなど,より精密な定数系といえるだろう.ところが,IAU 2009/2012 天文定数系では近年の月・惑星探査の成果を採り入れられ,この関係が逆転してしまっていた. そこで,平成28年版からはDE405の後継にあたるDE430を採用することにした次第である. DE405とDE430のおもな違いは以下のとおりである. DE430にはDE405以降の20年弱にわたる観測値が反映されている.この間,水星には探査機Messengerが,金星にはVenus Expressが,火星にはMars Reconnaissance Orbiterなどが,土星にはCassiniが到達し,測距観測が行なわれてきた. 天王星・海王星・冥王星は依然としてほぼ光学観測のデータを元にしているが,より過去の観測値も追加することで偏りが改善されている.また,火星の暦推算には欠かせない小惑星の取り扱いも大きく変更された. 月についても月レーザー測距 (Lunar Laser Ranging, LLR) 観測の継続,Apache Point局の開設,GRAILミッションによる月重力場の精密化,物理モデルの改善などにより,精度向上が図られた. 天文単位は 1 au = 149 597 870.7 kmで定義値となった. これまで天文単位 au は 1日 (1 d =