マネーメモ

ここにはマネーに関するメモを書いています。
 

日本史に学ぶマネーの論理 

 
663年に白村江の戦いで敗れたあと、倭国から日本という国号になる。671年(天智天皇十年)か701年頃(大宝元年)には倭国は日本になり天皇の呼称が使われ始める。
 

日本最初の貨幣

最初は「無文銀銭」でそのあと、→富本銭→和同開珎(銀)→和同開珎(銅)となる。

683年(天武天皇十二年)4月15日詔して「今後は必ず銅銭を用いよ、銀銭を用いてはならぬ」と言われた
飯田 泰之. 日本史に学ぶマネーの論理 (Japanese Edition) (p.23). Kindle 版.

668年 無文銀銭

この禁止された銀銭のことは「無文銀銭」といい銀銭が発掘された場所の年代から668年には使用されていた。

674年 日本で銀鉱発見(日本書紀)

日本で銀鉱が発見されたのは674年(天武天皇3年)なので、製造する銀は、新羅からもたらされたと言われている。

683年 天武天皇の詔

銀銭使用禁止と銅銭の使用命令が下る。このことから、和同開珎以前に銀銭と銅銭があったことがわかる。

694年 飛鳥浄御原宮での富本銭鋳造

672年から694年まで都があった飛鳥浄御原宮の発掘調査が1998年から行われ、調査で大掛かりな富本銭鋳造設備や作成途中の貨幣が発見された。このことから、富本銭が和同開珎以前に鋳造使用されていたことがわかる。

708年 和同開珎の発行

1月11日 武蔵国秩父郡が銅を献上。和銅に改元。 5月11日 和同開珎(銀)発行 8月10日 和同開珎(銅)発行
和銅=熟銅(にぎあかがね)、秩父は小規模な銅山だった。セレモニーとして献上をきっかけにした可能性が高い。

711年 蓄銭叙位令

中級の貴族従六位以下で銭10貫(銭1万枚)蓄財すると位階を1つ上昇させる規定。国家権力によって与えられる便益を貨幣の基礎に置くという方向性は、名目貨幣が流通する条件の1つ。銭を貯めたものに位階を与えている。行使されない商品券のようなものである。{これは国債を買っているようなものではないか}